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東京地方裁判所 昭和62年(特わ)1889号 判決

主文

被告人甲野一夫を無期懲役に処する。

被告人乙山二夫を懲役五年に、同丙川三夫を懲役四年に、同丁谷花子を懲役三年六月に、それぞれ処する。

被告人乙山二夫、同丙川三夫及び同丁谷花子に対し、未決勾留日数中五〇〇日を、それぞれその刑に算入する。

押収してある回転式けん銃二丁(昭和六二年押第一四〇五号の7及び8)、自動式けん銃一丁目(同押号の9)及び箱型銃(同押号の10)並びに実包七二発(同押号の11ないし15・ただし、試射済のもの一五発を含む。)を、被告人甲野一夫から没収する。

理由

(犯行に至る経緯等)

第一  各被告人の身上経歴等

一  被告人甲野一夫の生いたち、経歴等について

被告人甲野一夫(以下「甲野」という。)は、本籍地の群馬県において、作家であった韓国籍の父Aと、母Bとの婚外子として出生し、生後間もなくのころから祖母に育てられ、七歳のときに同女が亡くなってからは、伯父夫婦に養育され、地元の小、中学校を卒業して、昭和二八年四月県立高校に進学した。

しかし、甲野は、高校二年生のころ、伯父夫婦宅を飛び出して上京、東京都荒川区東日暮里に住む叔母宅に寄寓して同都港区内の私立高校に転入したが、同女との折り合いもうまくいかなかったため、同三二年ころには同女方を出るとともに高校も中退し、以後都内を中心としてキャバレーやクラブ等でバンドマンをしたり、群馬県高崎市で演歌師をしたり、また一時は暴力団に関係もしたが、昭和三七年ころ交通死亡事故を起こして服役し、同四二年ころからは再び都内などでロックバンドの演奏をして稼働した後、同四〇年代後半からは宝石関係の仕事に手を出すようになり、同五一年一月下旬ころ、仕事上の知人と、宝石商等からの売買名下による宝石類の詐取または強取を企て、輸入ダイヤモンド販売業を営むベルギー人宝石商に対し実行したところ、宝石の詐取・強取は遂げなかったものの、傷害を負わせ(以下この事件を「ベルギー人宝石商事件」という。)、強盗致傷等の罪により懲役七年の刑に処せられて服役し、昭和五九年二月に仮出所した。

その後、甲野は、昭和二一年に台湾籍の実業家と結婚して改名していた実母(以下「B」という。)から月数十万円の援助を得て、東京都荒川区東日暮里〈住所省略〉○○ハイツ二〇三号室(以下「○○ハイツ」という。)に居を構え、Bの資金援助により、同所を本店所在地として、コマーシャル及びテレビドラマの企画、図書の発刊及び各種演劇会、音楽会の企画等を目的とする有限会社△△総合企画(以下「△△総合企画」という。)を設立し、同時に服役中の構想を生かし、主として児童文学を対象とする創作活動を始め、甲原一郎のペンネームで同五九年九月、Cが経営する○○社から児童用絵本「風のメルヘン」を出版した。

二  被告人乙山二夫、同丙川三夫、同丁谷花子の身上、経歴と△△総合企画に入社する経緯

被告人乙山二夫(以下「乙山」という。)は、本籍地の小、中学校を経て、昭和二六年四月県立高校に入学したが、同二八年一二月同校を退学後、埼玉県内で皮革加工会社工員、ガソリンスタンド店員、在日米軍基地用務員などをした後、同四〇年ころから同五四年ころまでの間は、主として東京都内などで旅行観光代理店の営業マンとして勤務し、旅行業務取扱主任者の資格を取り、同五九年一〇月ころ、新聞の求人広告に応募して△△総合企画に入社したものの、給料の不満等から入退社を繰り返し、同六一年三月ころ自ら運送業等を始めたが、同年一二月ころ甲野から月給三〇万円の管理職という条件での復職話を受け、同月九日から、営業部長の肩書で同企画に復帰した。

被告人丙川三夫(以下「丙川」という。)は、本籍地の小、中学校を経て、県立高校に入学したが、三年生のとき東京都文京区内の私立高校に転入し、同三七年三月同校を卒業後、神奈川県、都内及び群馬県において、自動車整備工、自動車販売員、バーテン、馬丁手伝いなどの職を経て、同四七年ころ暴力団組員となり、同四九年には群馬県高崎市にある暴力団に所属し、その後覚せい剤取締法違反の罪等で数回裁判を受け、前橋刑務所に服役中、同じく、前記強盗致傷等の罪で服役していた甲野と知り合い、先に出所後更に覚せい剤取締法違反の罪の刑で同刑務所に服役した際、再び、仮出所間近の甲野と出合ったが、その後甲野が出所して著作活動をしたり自ら会社を設立して成功しているとの話を伝え聞き、仮出所後の昭和六一年一二月一〇日ころ甲野に連絡をとって進退を委ねたところ、△△総合企画で雇う旨の意向を示され、そのころ同刑務所を出所し甲野とも親交のあったD(以下「D」という。)とともに、△△総合企画に入社し、肩書住所地である××マンション三〇三号室を二人の住居としてあてがわれた。

被告人丁谷花子(以下「丁谷」という。)は、本籍地の小、中学校の経て、昭和五二年四月県立高校に入学し、同五五年三月同校を卒業後、県内において、縫製工、洋品店員を経て、同五七年三月ころから地元・中軽井沢のガソリンスタンドで事務員をしていたが、同六〇年二月ころたまたま給油に立ち寄った甲野に見初められ、△△総合企画の事務員になるよう強く望まれ、自らも東京で働きたいとの気持があったことから、同月末上京し、同企画に入社した。

第二  △△総合企画の経営状態等について

一  甲野は、昭和五九年一〇月ころ東京都荒川区東日暮里〈住所省略〉××マンション三〇五号室を借り受け、同所や前記○○ハイツで△△総合企画を運営していたが、同六〇年二月にはその分室として同区東日暮里〈住所省略〉○×ビル六階(以下「○×ビル」という。)を借り受けたのを始めとして、同年九月には前記××マンションの三〇三号室を借り、同六一年二月には、新たに同区東日暮里〈住所省略〉所在の△×ビル三階(以下「△×ビル」という。)を借り受け、同年三月からは同企画の本店とした。

二  ところで、△△総合企画は甲野が母Bから拠出された資金を元手に設立した個人企業であるが、甲野が当初考えていたコマーシャルの企画、製作が、予想以上に、系列化された大手企業に独占されていることがわかり、個人企業では諸経費を負担してまで製作しても採算に合わないとの判断から早々にこれを断念し、同六〇年三月ころからは、△△総合企画の取扱い業種を掲記した多量のダイレクトメールを無作為に送付し、そのひとつの、甲野個人が直通電話により性関係の相談に応ずる形式のセックスコンサルタント業を始め、同年秋ころからは、画家ミロ等のリトグラフのオフセット印刷物(額入り)を、月額数千円で貸し出すアートレンタルの仕事も始めたが、右コンサルタント業による収入があったほかは、絵画のレンタルは客があまりつかず、また翌六一年一〇月ころから始めた押花カードの製作販売も、人件費や押花器の購入代金に比べてさしたる需要がなく、大量の在庫を抱えるという有様で、しかも、同年春ころから企画準備を始め同年八月に関東を中心として開催した大韓民国国立国楽高等学校芸術団の公演は、招演費用がかさみ、この企画だけで数千万円の赤字を出していた。

三  右のように、会社が手掛けた業務にはさしたる展望も見通しもないのに、甲野は、会社の経営規模を物的・人的に拡大し、前記のように事務所等を次々と借り受け、同時にBMW、ベンツ、ポルシェといった高級外車や数台の国産車を割賦購入し、これに応じて右各車のガレージを賃借りし、各事務所の事務機器としてカラー複写機、パーソナルコンピューター、ワードプロセッサー等をリースで借り受け、また、新聞広告に応募して来た者を女子社員として採用し、結局、以上の事務所等の賃料、車の割賦支払金、リース料のほかに人件費も日を追って増加し、その他の経費も合わせると、同六一年一二月の段階では、諸経費の月間合計額が一〇〇〇万円を越えるという状態であった。

四  他方、甲野は前記のコンサルタント業のほか、個人的には不動産の斡旋及び宝石類等の販売を手掛けていたが、いずれも多額の利益を望めるものではなく、前記の△△総合企画における月々の多額の出費は、その多くを、母Bから援助を受けたり、あるいは、同女を通じて他から借り入れた金員や、同女に宝石類や絵画を手渡して引き出した金員に依存していた。

また、甲野は、自らの創作童話を、前記○○社から出版していたが、これとても、多類の製作費や宣伝広告費は甲野自身が負担するなどという、いわば自費出版類似のもので、出版された童話も利益が上がるほど売上げが伸びなかったため、印税等が入ることもなく、童話の出版による利益も期待できなかった。

第三  甲野が一万円札の偽造を手掛けるに至る経緯

一  ところで、甲野は、昭和六〇年夏ころ、カラー複写機を利用しての一万円札の偽造を考え、社員の丁谷らとともに、事務所のカラー複写機を利用して相当量の一万円札のコピーを作り、その後社員の交通事故に伴う補償問題や、前記芸術団の公演の企画、準備等に忙殺され、右公演終了の同六一年夏ころ、再び丁谷に手伝わせてカラー複写機により相当量の一万円札のコピーを作成したが、いずれも真券と外形上明らかに異なっていたので、これらの利用には至らなかった。

ところで、甲野は、前記のとおり、△△総合企画の事業収益が思うように上がらず、経費ばかりが大きく膨れ上がり、これに自らの浪費ともいえる無計画な出費も重なり、他方、次々と手掛けた事業にも何ら明るい見通しがつかないため、昭和六一年一一月ころには、本格的に一万円札の偽造券を作り、これを宝石商に見せて、商品を取り込む方法による、一獲千金を企てるに至ったが、カラー複写機のコピーでは、作成された偽造券の縁取り等が真券とは明らかに異なるため、リトグラフ複製時のオフセット印刷の手法を利用すれば精巧な一万円札を偽造できると思い付き、童話の出版などによる親交の厚い前記Cならこの頼みを聞いてくれるものと考え、同六一年一一月ころ同人に対して、「郷里にある群馬県榛名町の町長選挙において、対立候補の立候補を断念させる見せ金として利用するため、一万円札を五億円ほど作りたい。多額の報酬を出すから業者を紹介してくれ。」などと印刷を依頼した。

二  Cは、その後オフセット印刷業を営むEにその趣旨を説明してポジフィルムの作成から印刷に至るまでの協力を依頼し、Eを通じ、写真製版業を営むFにポジフィルムの作成を、印刷業を営むGにオフセット印刷用原版の作成を、オフセット印刷業を営むHに対し印刷機器の使用と印刷の手伝いを依頼し、それぞれの了承を得て、同六二年一月上旬、Fが真券の一万円札を他で色分解してもらったうえポジフィルムを、これを使ってGが見本刷用の刷版を、Eが同刷版を用いて一万円札の左半分の券二枚を上下逆に組み合わせた試し刷りを、それぞれ作成し、甲野としては、出来上がったものに不満はあったが、これを束ねて上下に真券を乗せて帯封すれば、見せ金に使えると思い直して、Cに本刷を指示し、E、G、Hにおいてオフセット印刷した現物が、同月一五日、C及び乙山を介し、甲野に引き渡された。

第四  甲野が強盗殺人に至る経緯

一  甲野は、昭和六一年一二月ころから、手っ取り早く多額の金員を手に入れるには、前記のようなCらを通じての偽造紙幣を利用するだけでなく、ベルギー人宝石商事件の際に用いた、一万円札の大きさに断裁した紙束の上下に真券の一万円札を重ね、全てが一万円札のように似せる、いわゆるアンコの札束を作成して宝石業者に見せ、資力を信用させて宝石を騙し取り、これを母Bに持ち込み、多額の金員を引き出そうと考えるようになった。

二  そこで、甲野は、自ら、昭和六一年一二月二〇日ころ、○×ビルに、乙山、丙川、D及び丁谷を集め、断裁器を使って、各自に上質のコピー用紙を一万円札の大きさに切らせ、一〇〇枚位を一つの束にして上下に真券を置き、一束ごとに帯封をさせてアンコの札束合計約八〇〇〇万円相当を作らせ、更に同月三〇日にも、○×ビルにおいて乙山に右同様の作業の指示して一〇〇枚束を約七〇個作成させ、これに自ら丁谷に手伝わせながら二日がかりで帯封した。

三  ところで、甲野は、昭和六一年一二月二四日ころ、人工・天然宝石卸業等を営む京セラ株式会社の社員二名を取引名下に△△総合企画に呼び寄せた際、丙川及びDに対しては、千枚通し様のものを手渡したうえ、右社員らが取引後に事務所から帰る途中を襲撃し、所持している宝石類等を強取することを、丁谷に対しては、右社員らが来る時には、アタラックスという催眠作用のある精神安定剤をカプセルから取り出しお茶などにいれて出すことを、それぞれ命じ、これに応じて、丁谷は同日午後に来社した京セラの社員二名にアタラックス入りのお茶を出し、丙川及びDも手渡された凶器を携えて右社員らの帰路を尾行したが、気後れなどにより、これを実行するには至らなかった(以下この事件を「京セラ事件」という。)。

四  さらに、甲野は、同月二七日、自ら○×ビルに連れて来た貴金属の販売等を営む十仁プラザ株式会社の社員二名に関しても、Dにはナイフを手渡し、丙川には○○ハイツからけん銃を持って来させ、これらを使うなどして右社員らが所持している宝石類を強取するように、丁谷に対しても、右社員らが来たときには京セラ事件と同様にアタラックス入りのお茶を出すように、それぞれ命じたが、D及び丙川が事態の切迫感に耐え切れず、順次、逃げ出したため、これも実行に至らなかった(以下この事件を「十仁プラザ事件」という。)。

五  甲野は、そのころから、良い宝石を手に入れたいという気持が強くなり、偽札を使ってでも個人営業の宝石商から宝石類を騙し取る意を深め、同年一二月末ころ、取引上の知人の雑貨業者に、「億単位の取引がしたいので、高級な宝石を持ってこられて、現金取引できる個人営業の宝石商を紹介して欲しい。」などと依頼し、同六二年一月七日、同人から東京都台東区東上野のタカラホテルで、Iを紹介された。

ところで、被害者I(以下「I」ないし「被害者」という。)は、青森県八戸市において父J、母Kの間に生まれ、都内の私立高校を卒業後、数回職場を変えた後、宝石店に勤務し、その後、店舗を持たずに個人で宝石類の販売を始め、昭和五七年一月からは、知人が経営する同区御徒町所在の全日本宝石学会を取引上の連絡場所としていたものであるが、甲野は、Iの紹介を受けて間もなく、直接同人に対し、高価な宝石を注文すると同時に、金地金を億単位で購入したい旨依頼し、その際には自己の資力を信用させるため、わざと多額の現金が入っているかのようにアタッシュケースを持参したり、高級外車で乗りつけるなどしたほか、バッグには大金持がいてその者の依頼で交渉にあたっているなどと虚偽の事実を伝え、Iもこれを真に受け、甲野の依頼に沿って精力的に宝石類を集めるようになった。

六  Iは、同月一〇日ころ、台東区上野所在の有限会社スター商会の代表取締役に、ダイヤモンドの裸石、ルビー、エメラルドなどの高級な宝石をできる限り数多く揃えるよう依頼し、同月一二日には、同区上野所在の有限会社津久井宝石の代表者からも、地金業者の田中貴金属工業株式会社の社員の紹介を受け、同時に右津久井宝石に対し高級な宝石を見つけて欲しいと依頼するなどし、同日午後にはスター商会からダイヤモンド裸石、パール、エメラルド、キャッツアイの各指輪等(同商会の仕入値の総額で七五〇〇万円余相当)を販売委託の形式で預かった。

ところで、Iが、同日午後六時ころ△×ビル社長室に甲野を訪れ、右宝石類を見せたところ、甲野は、これらが長年宝石の取引を手掛けてきたうえでも稀な極上品であると考え、およそ数億円程度の価値があるものと値踏みし、Iが、一旦はこれらを預けていくことを承諾し、預かり書に署名までさせながら、急にこれを取り消して持ち帰ることにしたので、甲野としては、右極上品の宝石に強く後ろ髪を引かれ、一旦手に入れたと思ったものを失った無念さが残ることになったが、更に高級な宝石類を持参させようと気を取り直して、その他にミンクの毛皮コートを数十着揃えるように依頼して別れた。

翌一三日午後八時ころ、Iが別のアレキサンドライトの裸石を持って△×ビルを訪ねて来た際、甲野は、これを八〇〇万円を購入することを約して受け取ったが、Iに、前日のような極上品の宝石を持参するように求め、翌一四日午後に連絡を受け、一二日に見せられたような極上の宝石を期待して待合わせ場所の前記タカラホテルに出向いたが、同人が持ってきたものは、ルビー、キャッツアイ及びパールの各指輪やダイヤの裸石等せいぜい数千万円程度の価値しかないものだったので、「これだけではだめだ。一二日の宝石に相当するような宝石を持ってきて下さい。」と重ねて同人に極上品を依頼したが、同日夕方△×ビルにIが持って来た宝石は、同日タカラホテルで見せたもののほかにサファイヤ、エメラルド等の宝石が加わっただけであったが、とりあえずこれらを預かることにした。甲野は、Iには極上品の宝石を仕入れてくる手付け的な資金として数回にわたり少なからぬ現金を手渡していたのに、同人がそぶりを見せるのみで、なかなか極上品の宝石を持参しないことに、同人の駆け引きのうまさを知らされると同時に、じらされているようないらだちを感じ、次第にこれが同人に対する腹立ちに変っていった。

甲野は、昭和六二年一月一六日午前一〇時ころ、○○ハイツの居宅から、全日本宝石学会に電話をかけてIへの連絡を頼み、間もなく同人から、「今日、金地金の取引価格を決めた後、午後四時ころ、△×ビルの事務所に行く。」との連絡があったので、Iが会社に来た際には、前記のCらに偽造させた一万円札を利用して前日から当日早朝にかけ帯封するなどして作成してアンコの札束を用いて、Iが持って来た宝石類を詐取しようと考え、あるいはそれが成就しない場合は、これまで受け取った宝石の返還を免れると同時に同日持参した宝石類を強取するため、事態のいかんによっては同人をけん銃で殺害することもやむを得ないと考え、そのような場合の殺害場所として同ビルの地下室を漠然と想定するに至り、まず同日午前九時ころ○○ハイツに来た丁谷に対し、「午後四時ころIが会社に来るので、その際には朝鮮人参茶にアタラックスを入れて出せ。」と指示し、同日午前一一時ころ、△×ビルに出社していた乙山に電話で、右アンコの札束を詰めたジュラルミンケース四個を○×ビルから△×ビルの社長室に運んでおくように指示するとともに、「Iを今日殺害する。」とその意図を告げたうえ、「丙川と地下室を見ておけ。」と命じ、同日昼過ぎころ、口径〇・三八インチ回転式けん銃、口径一〇・五ミリメートル箱型銃各一丁と、これらに対応する実包をタオルに巻いてショルダーバッグに入れ、これと八〇〇〇万円相当のアンコの札束の入ったアタッシュケースを持って、△×ビルの社長室に出社した。

そこでまず、甲野は、乙山を呼んで、地下室に会議用のテーブルと椅子を買ってきて用意すること、けん銃の入った前記ショルダーバッグを地下室の目立たないところに置くことを指示したり、Iが来る午後四時ころには外部から△×ビルの社長室に電話を入れさせたうえ、同人に、甲野らが大掛かりな不動産取引を扱っており、その取引で多額の現金が動いたように見せ掛けるため、先に搬入しておいたジュラルミンケースを搬出するように命じた。また、甲野は丁谷に対しては、○×ビルに置いてある前記ジュラルミンケースにビニールシートを詰め、アンコの札束が動かないようにする作業を命じたほか、乙山に置かせたけん銃があるかどうかの確認のため地下室に行かせたりした。

他方、Iは、同日、田中貴金属工業株式会社に赴いて金地金の商談を進めた後、東京都千代田区外神田にある毛皮コート類の製造販売店山毛土に行ってミンクの毛皮コート四着を預かり、同日午後には台東区上野にある丸二商店からロレックス製の高級腕時計一三個を預かり、同日午後四時ころ、右コート及び腕時計を持って、△×ビルに行ったが、甲野としては、Iが同日は極上の宝石を持ってくるものと期待していたのでいたく落胆し、宝石類がIの車の中に置いてあるのではないかとまで考え、試乗などの口実を設け、同人の運転する普通乗用車(トヨタクラウン・以下「クラウン」という。)に乗って、△×ビルの周辺を走りそれとなく車内を見たが、宝石類は見当たらなかった。

甲野は、社長室に戻り、乙山が運び込んでおいたアンコの札束入りのジュラルミンケース四個をIに示し、それぞれに一億円が入っている旨説明したり、乙山に外から社長室に電話をかけさせた後、同人に右ジュラルミンケース三個を運び出させ、あたかも甲野が大掛かりな不動産取引を手掛けており、その取引の手付金として億単位の金銭が動いているかのように装った。

そこで、Iは、一旦社長室を退出し、再び同日午後五時ころ右社長室にやって来たが、同人が持って来たものは先のミンクの毛皮コート四着だけで、宝石類はなく、逆に甲野の思惑に反して右コートの購入を勧めるなどしてきたので、甲野は、Iが右コートは高級な宝石を担保に預かって来たものであると言っていたことを思い出し、「ミンクのコート四着ぐらいじゃ仕方がない。かたとして置いて来た宝石を持って来て欲しい。」などと高級な宝石類を持って来るよう促したところ、Iは、右コートを持って社長室を出て行った。

甲野は、Iに宝石の仕入れを促すために少なからぬ現金を数度にわたり手渡しているのに、同人が容易に高級な宝石類を持ってこないので、あせりを強め、当初漠然と考えていた△×ビル地下室において同人を殺害する旨の計画を変更し、何らかの口実を設け同人を乙山の運転するI所有の前記クラウンに乗せて関越自動車道に連れ出し、走行中の車内で同人を射殺しようと考え、乙山には、右クラウンの運転を、丁谷には甲野が使っていたBMWを運転させ、丙川や内装工事発注の口実で呼び寄せた知人のL(以下「L」という。)共々、右クラウンに追従させようと考え、まず、乙山に対して、「クラウンを運転したことがあるか。関越を走りながらけん銃でIを殺害するから、クラウンはお前が運転しろ。」などと告げた。

一方、社長室を退出したIは、前記山毛土に行って、同店から先に預けたひすいの指輪の返却を受け、前記コートはそのまま預かり、これらを持って、同日午後六時四五分ころ、△×ビルの社長室に戻ったところ、甲野は、依然としてIが宝石類を持って来ないばかりか右コートを買うように強く勧めてきたので、もうこれ以上同人に高価な宝石類を持参させるのは無理であると判断し、先の計画通り同人を連れ出して自動車内で殺害し、これまで同人から売買名下に預かり保管中の宝石類等、商品の返還を免れることで満足するほかないと決意するに至った。

そこで、甲野は、Iに対し、これまで受け取った宝石類や当日持参したコート、ロレックス製の腕時計を購入すると告げ、これらを一億円で清算することとし、右コート四着は社長室のハンガーにかけ、ロレックス製の腕時計一二個も受け取って、いずれも自己の管理下に置いたうえ、一億円相当のアンコの札束の入ったジュラルミンケース一個を示して、これを右代金として同人のクラウン内に搬入することにし、同人を関越自動車道に誘い出すため、「金の地金を一億円ほど買いたいが、手持ちの金がなく、所沢に金を出してくれる人がいるので、一緒に行って下さい。」などと言葉巧みに誘いをかけ、同人を待たせたまま、地下室に降りて前記けん銃の入ったショルダーバッグを持ち、○○ハイツの居室に行って着替えをしたうえ、右バッグから前記口径〇・三八インチ回転式けん銃(五連発タウルス)を取り出して実包五発を装填して身に付け、予備の実包二発も携えて、△×ビルに戻った。

甲野は、丁谷に○×ビルで待っていた丙川とLをBMWに乗せて△×ビル前まで連れて来させたうえ、同所において丁谷に対し、「お前がBMWを運転し、丙川とLを乗せて、クラウンの後をついて来い。」と命じ、同日午後七時過ぎころ、乙山が運転し、甲野及びIが後部座席に乗ったクラウンを先頭に、これに丁谷が運転し、丙川及びLが乗ったBMWが続いて、△×ビル前を出発し、練馬インターチェンジから関越自動車道に入った。

(罪となるべき事実)

第一〔強盗殺人・同幇助関係〕

一  被告人甲野一夫は、前記のとおり、宝石商のI(当時三八歳)に対し、宝石等を多量に購入するなどと言葉巧みに働きかけて、同人にできる限り高価な宝石類を持参させようと企て、昭和六二年一月一三日ころから同月一六日午後七時ころまでの間に、同人から、数回にわたり、ダイヤモンド裸石八個ほか宝石類七点、ミンクの毛皮コート四着及びロレックス製腕時計一二個(以上時価合計約七八〇〇万円相当)の引き渡しを受けて預かり保管していたが、もはや同人にこれ以上宝石類を持参させることは困難であると判断し、同人をけん銃で殺害して右預かり保管中の宝石類等の返還を免れようとの意図の下に、同日午後七時過ぎころ、○×ビルの△△総合企画事務所に来た同人を商品取引名下に誘い出して同人所有の普通乗用車(クラウン)に同乗させ、乙山二夫の運転で出発し、同日午後九時ころ、関越自動車道を走行中、鶴ケ島インターチェンジに至る埼玉県川越市大字池辺付近に至るや、同車内において、口径〇・三八インチ回転式けん銃(昭和六二年押第一四〇五号の7)でIの胸腹部及び頭部を狙って銃弾を六発を発射し、よって、即時、同所において、同人を脳損傷により死亡させて殺害したうえ、同日午後一〇時ころ、群馬県群馬郡榛名町大字中室田字大沢四三九二番地の山林において、同人の携帯していた現金約四〇万円を抜き取り、もって、同人を殺害して、同人から預かり保管中の前記宝石類等の返還を免れるとともに、同人が携帯していた右現金を強取し、

二  被告人乙山二夫、同丙川三夫及び丁谷花子は、甲野一夫の前記第一の一の犯行に際し、いずれも同人が右犯行を行うかもしれないことを認識しながら、あえて、

1  被告人乙山二夫は、自己が運転走行中の車内で、甲野一夫がIをけん銃で射殺するかもしれないことを認識しながら、右自動車の運転走行を継続し、

2  被告人丙川三夫は甲野一夫の前記犯行に先立ち、同日午後三時ころ、同人が△×ビルの地下室でIをけん銃で射殺する計画をしていた際、乙山二夫とともに、けん銃音が同建物の外部に漏れることを防止するため、同地下室の入口戸の周囲のすき間等をガムテープで目張りしたり、換気口を毛布で塞ぐなどするとともに、丁谷もしくはLの運転する普通乗用車(BMW)に同乗して、前記乙山の運転する自動車に追従して、前記殺害現場に至るなどし、

3  被告人丁谷花子は、甲野一夫の前記犯行に先立ち、同日午後四時過ぎころ、Iが前記事務所に来た際、朝鮮人参茶に催眠作用を有する精神安定剤(アタラックス)を混入して同人に提供し、さらに、同日午後五時三〇分ころ、同地下室に隠匿されていた甲野一夫のけん銃の存在を確認して同人に報告するとともに、前記乙山の運転する自動車に、自ら普通乗用車(BMW)を運転して、中途からはLの運転する右自動車に同乗して、追従し、前記殺害現場に至るなどし、もって、いずれも前記第一の一記載の甲野一夫の犯行を容易にして、これを幇助し、

第二〔死体遺棄・同幇助関係〕

一  被告人甲野一夫、同乙山二夫及び同丙川三夫は、Lと共謀のうえ、同日午後一〇時ころ、群馬県群馬郡榛名町大字中室田字大沢四三九二番地の山林内において、同所の土中に前記Iの死体を埋没し、もって、死体を遺棄し、

二  被告人丁谷花子は、甲野一夫、乙山二夫、丙川三夫及びLが、右第二の一記載のとおり、Iの死体を遺棄するに際し、死体の埋没作業中、懐中電灯でその箇所を照らすなどして、これを容易にして幇助し、

第三 被告人甲野一夫は、右のように宝石商であるIを殺害して、宝石類等の返還を免れるなどしたが、期待していた高価な宝石類を手に入れることができなかったばかりか、同月一八日には母Bとの間でトラブルが生じ、以後同女から多額の金員を引き出すことができなくなり、当時やっていた押花カードの製作販売も多額の収益が見込めないうえ、Iを殺害したことにより、精神的にも追いつめられ、前年の一二月ころからやりだした競馬にのめり込むようになって、これに一日数百万円もの現金をつぎ込む有様で、手持ちの現金が乏しくなってきたので、この際多額の現金を手に入れるためには、とにかく先の一万円札を偽造する計画を推し進めるほかないと考え、同六二年二月下旬ころ再びCに、ポジフィルムの作成から印刷までを依頼し、同人が、同年三月半ばころ、前記Eらによって前同様の工程を経て作成された「見本」の文字入りの試し刷りした一万円札の偽造券を持参したが、これには透かし様のものが入っており出来もいいと考え、「見本」の文字を取るなど、試し刷りに校正の指示をしたうえで、一〇億円分の偽造券を作るようCに依頼し、同月二〇日ころ、同人が前同様の工程を経て約五億円分の偽造券を作成してきたが、これには透かし様のものが入っておらず、印刷の色も赤が強かったので、三たびCに、「もっと色の整ったもので、透かしの入ったものを一〇億円分作るよう。」命じ、ここにおいて、被告人甲野一夫、C、E、H、G及びFらと順次共謀のうえ、昭和六二年三月二〇日過ぎころから同月二九日ころまでの間、東京都板橋区〈住所省略〉○○ビル一階○○印刷所等において、行使の目的をもって、ほしいままに、真正の日本銀行発行のD号一万円券の表面及び裏面の図柄、肖像、文字、記号、番号、印章などをスキャナーで撮影し、反転プリンターなどを使用して同銀行券の表面部と裏面部のポジフィルムを作成し、これをアルミニウム板に焼き付けてオフセット印刷用原版に作成したうえ、オフセット印刷機、インクなどを使用してこれを上質紙に印刷し、もって、通用の銀行券である日本銀行発行のD号一万円券約一〇万五〇〇〇枚(昭和六二年押第一四〇五号の1ないし6はその一部)を偽造し、

第四 被告人甲野一夫は、Mと共謀のうえ、法定の除外事由がないのに、昭和六二年四月二九日ころ、茨城県北相馬郡利根町〈住所省略〉のM方敷地内において、前記タウルス型けん銃を含む口径〇・三八インチ回転式けん銃二丁(昭和六二年押第一四〇五号の7及び8)、口径〇・二五インチ自動式けん銃一丁(同押号の9)及び口径一〇・五ミリメートル箱型銃一丁(同押号の10)のけん銃合計四丁並びに火薬類であるけん銃用実包七二発(同押号の11ないし15)を隠匿所持し、

第五 被告人丙川三夫は、法定の除外事由がないのに、昭和六二年一月一〇日ころ、東京都荒川区東日暮里〈住所省略〉○○ハイツ二〇三号室の当時の甲野一夫の居室において、口径〇・三八インチ回転式けん銃一丁(昭和六二年押第一四〇五号の8)及び口径〇・二五インチ自動式けん銃一丁(同押号の9)並びに火薬類である右両けん銃用実包合計四〇発を隠匿所持したものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(争点に対する判断)

一  各被告人及びその弁護人の主張の要旨は、以下のとおりである。

1  まず、被告人甲野は、強盗殺人について、被害者を殺害した動機は、同人が朝鮮人のことを著しく誹謗したからであって、宝石類を強取しようとするためではなく、通貨偽造については、偽造券を具体的に行使する手段・方法までは考えていなかったと各弁解し、これを受けて、その弁護人らは、強盗殺人について、〈1〉甲野には強盗の意思はなく、したがって本件は単純殺人罪で擬律されるべきである、〈2〉また、被害者を殺害後、現金約四〇万円を抜き取った点は、窃盗罪ないし占有離脱物横領罪を構成するにすぎない、通貨偽造については、甲野が通貨を作成した主目的は、当初「見せ金」に利用するというもので、途中から比較的出来の良い偽札ができた段階でもこれを行使するという明確な意思があったわけでなく、たとえあったとしても未必的なものに止まる、そして、本件各犯行当時、甲野は長期間の薬物の常用により慢性中毒になって、極めて不安定な精神状態に陥っていたのであり、したがって、甲野には本件各犯行当時、事理の弁識能力及びこれに従って行動する能力が著しく減退していたものである旨、それぞれ主張する。

2  次に、被告人乙山は、強盗殺人幇助について、甲野は普段から皆の根性を試す旨公言していたので、同人がまさか強盗殺人をするとは思わなかったし、被告人丙川は、強盗殺人幇助について、ガムテープで目張りをしたり、換気口を毛布で塞いだり、また車で追従したことはあるが、その際甲野が強盗殺人をすることまでは知らなかったし、死体遺棄については、いきなりそういう現場に当たっていきがかり上したもので、甲野らと死体遺棄を共謀したことはないと各弁解し、これらを受けて、両名の弁護人は、両被告人共通の主張として、強盗殺人幇助について、〈1〉正犯者である甲野には強盗殺人の意図はなく、かりに、あったとしても甲野の意図を乙山、丙川は知らなかったから、幇助の意思はなく、〈2〉また、乙山、丙川の行為と甲野の実行行為との間には因果関係はないから、いずれにしろ強盗殺人幇助には該当しない、死体遺棄については、乙山、丙川には当時適法行為の期待可能性がなかった旨、それぞれ主張する。

3  さらに、被告人丁谷は、強盗殺人幇助について、甲野が実際どのようなことをするのかは分からなかったし、同人から言われたとおりのことをしたにすぎず、死体遺棄幇助については、甲野から懐中電灯を出すように言われ、これを車中から取り出して同人に渡したにすぎないとし、これを受けて、その弁護人は、強盗殺人幇助について、〈1〉丁谷は正犯者である甲野の強盗殺人の意図を知らなかったもので、幇助の意思がなく、〈2〉また、丁谷の行為と甲野の実行行為との間には因果関係はないから、結局、丁谷の行為は強盗殺人幇助に該当しないし、死体遺棄幇助についても、丁谷の行為は、その経過等に照らせば、死体遺棄の幇助行為とまで言い得る実質的違法性に乏しいものであるから、いずれも無罪であると、それぞれ主張する。

そこで、以下右主張に沿って順次検討する。

二  被告人甲野一夫について

1  強盗殺人の犯意とその発生時期について

甲野が強盗殺人に至った経緯は、犯行に至る経緯等第四において認定したところであるが、前掲各証拠を総合して、これを更に敷衍すれば、犯行当日の昭和六二年一月一六日、甲野は、朝から被害者への連絡を急ぎ、同日午後四時ころの来社の約束を取り付けると、早速丁谷に、催眠作用のある精神安定剤を朝鮮人参茶に入れて出すように命じ、また乙山には、被害者を殺害する旨、端的にその意図を明らかにしたうえ、丙川とともに地下室を見ておくように命じた。そして、同日午後には、普段は持ち出さないけん銃二丁とそれらに対応する実包をショルダーバッグに入れて出社し、その直後、乙山に、地下室に会議用のテーブルと椅子を買ってくるよう指示したり、前記けん銃等の入ったショルダーバッグを地下室に置いてくるように命ずるなど、被害者を地下室に連れ込んで殺害することを前提とする言動を示していたのであって、このように凶器を具体的に準備し、殺害場所の設営を命じたり、更にはこの意図を部下に吐露していることを併せ考えれば、同日午前の時点で既に、被害者との取引の推移によっては、同人を地下室に連れ込んで殺害しようとの意図を固めたことが認められ、同時に前記犯行に至る経緯等第四の項で詳細に認定したように、それまでの被害者との宝石取引の経緯や、京セラ・十仁プラザの両事件の際にも、宝石会社の営業社員らを対象として、所持していた宝石等の強取を企てたことに照らせば、被害者の殺害は、同人が持参する宝石類を強取するなり、あるいはこれまで同人から購入名下に受け取っていた宝石類の返還を免れようとの意図によるものであることが明らかである。

そして、さらに、前記各証拠によれば、甲野は、同日被害者との間で数度の交渉を持ったものの、同人がめぼしい宝石類を持って来なかったので、同人が同日△×ビルを出ていった午後六時ころ、乙山に対し、「関越を走りながらけん銃でIを殺害するから、車はお前が運転しろ。」と命じ、その後、三たび△×ビルに来た被害者が、前同様宝石類を持って来なかったので、甲野は、同人を社長室に待たせたまま、身づくろいのうえ、けん銃に実包を装填して用意し、言葉巧みに同人を外へ連れ出したのであって、これらの事実によれば、甲野は被害者が期待したような宝石類を持参しないので、先の計画のうち、犯行現場を変更し、同人を△×ビルから連れ出して、高速道路を走行中の車中で殺害し、それまで受け取っていた宝石類の返還を免れることで満足しようと考えるに至ったことは明らかである。

そして、以上と同趣旨の甲野の捜査段階における供述は、詳細かつ具体的で、これと関連して事細かに供述されているその日の甲野や被害者の行動に関する供述は、いずれも関係証拠上認められる事実と概ね一致しており、被害者の行動に応じた内心の動きを逐次供述しているのであって、その信用性は高いといえる。

ところで、強盗殺人の犯意の発生時期について、甲野の捜査段階における供述中には、昭和六二年一月一二日に被害者から極上品の宝石を見せられた時に、同人を殺害してこれらの宝石を奪ってやろうと考え、以後犯行日の同月一六日までその意図に従って同人からより多くの宝石を出させるようにしたとの供述部分(たとえば、甲野の検察官に対する昭和六二年五月一五日付供述調書第三項)がある。なるほど、甲野の当公判廷における供述に照らしても、甲野が同月一二日に被害者から見せられた宝石にかなり強い関心を持ち、以後これを手にいれるために画策したことは認められるが、同月一二日から犯行日までは中三日間もあるのに、その間強盗殺人を実行に移すための前提として不可欠な凶器の用意や、殺害場所の確保を、甲野自身が具体的に考えたり、社員らに命令・指示したという形跡は全くなく、また殺害の意図を他に漏らしたということもなかったのであって、右の捜査段階における供述は唐突の感を免れず、同月一二日の段階において、強盗殺人の犯意の発生を認めることはできない。

もっとも、甲野は前年の一二月下旬には二度にわたって同種事件を企てており、特に二七日の十仁プラザ事件は、Dが逃げ出した後も、丙川にけん銃を用意させてこれを実行に移そうとするなど、犯意がかなり強固であったことを窺わせるものであって、本件以前にも類似の犯行に至ろうとしたことは、本件の犯意を基礎づけるに止まらず、その発生時期にも影響を及ぼす有力な間接事実になり得るものではあるが、前年の際には、丙川やDに凶器を渡したり、丁谷にアタラックスをお茶に入れるよう命じるなど、端的に犯意を徴表する行動に出ているのであって、これと本件とを同列に考えることはできないし、後に甲野の責任能力に対する判断の項で指摘するように、甲野は気分変易的で、かなり感情の起伏が激しく、思い付きで行動に移したり、簡単に先の計画を変更するなどしてきたというのであるから、右の事情も、前記判断を覆すものにはならない。

また、当時の△△総合企画の経営状態が悪かったという事情はあるにせよ、甲野はそれでもかなりの現金を持っていた(たとえば、前記十仁プラザ事件においては、約四〇〇〇万円もの現金を相手に一旦渡している。)ことは明らかであり、この段階で、会社経営に危機的な支障を来したり、日々の生活にこと欠くという状態にあったわけではなく、これも前記の判断に変更を加える理由としては不十分である。

なお、甲野は、捜査段階から、被害者との取引の折衝過程で、同人から朝鮮人を誹謗する言動等を示され、自らの幼少時の体験等もあって、これに立腹したことから、同人を殺害した旨供述し、公判廷では、これを進めて、専ら右の言動に立腹して同人を殺害したとして、強取目的を否定している。

まず、被害者の朝鮮人誹謗の言動等の有無については、その直接的な証拠は甲野の供述以外に見当たらないが、右に関する甲野の捜査段階での供述は一貫しており、強盗殺人の犯意を認めながら、捜査の当初からその具体的な内容を述べているのであって、自己の刑責を軽減しようとの、多少、誇張に亘る部分がないとはいえないけれども、概ねその内容は信用できるものであり、証拠上認められる甲野の身上、経歴等に照らし、右のような言動に立腹したとする心情にもうなずけるものがある。

しかし、甲野が犯行に至った一つの理由として右のような事情を肯定できるにしても、甲野が公判廷で述べるように、専らこれに立腹して犯行に至ったもので、強盗の犯意はなかったとする部分は、採用できない。

すなわち、前記犯行に至る経緯等第四の五及び六において詳細に認定したように、甲野は被害者から高価な宝石を持って来させるためかなりねばり強い交渉を続け、その際、数回にわたり少なからぬ現金を手渡し、これが同人に極上の高価な宝石を持って来させるための手付け的な資金であったことは明らかであり、犯行前においては、甲野は、終始、被害者に高価な宝石を持参させるため腐心しており、犯行後においても、○○ハイツに戻るや早速被害者から取得した宝石を別のケースに移し替えたり、翌々日には、同じく、コートや腕時計の一部を実母に手渡すなど、被害者からの物品の処分に取り掛かっていることが認められるのであって、被害者に、宝石等の取引の清算金として一億円相当のアンコの札束入りジュラルミンケース一個を渡すことにした直後、本件犯行が、それまで手に入れた宝石類等の確保と無関係になされたものとみることは不自然で、逆に、犯行は、前記のように、それなりに考えられた冷静なものであって、これを単なる私憤・激情に基づくものとは到底考えられず、要するに、強盗の犯意と被害者への腹立ちとは十分に両立する心的状態なのであって、この点の甲野及びその弁護人らの主張は採用できない。

なお、甲野が、被害者を殺害してその所持金を奪取することまで意図していなかったことは明らかであり、被害者の死後その身に付けていた現金約四〇万円入りの財布を抜き取った点は、これを、預かり保管中の宝石類の返還を免れる目的でした強盗殺人の一部に、当然に取り込むことができるが、検討を要する点ではあるが、前掲各証拠によれば、甲野が強盗の犯意をもって被害者を殺害後、そのまま計画どおり死体遺棄現場に運び、同所で前記財布を抜き取るまでの間、事態は間断なく推移していたものであり、その行為を全体的に観察すれば、被害者殺害後の予定外の抜き取り行為も、単なる強盗ではなく、強盗の犯意に基づく殺人に乗じて被害者の占有を侵害したものとして、刑法二三六条一項をふまえた強盗殺人の一部をなすものというべきで、これに先行した同法二三六条二項に関する強盗殺人とは、その全体が同法二四〇条後段の強盗殺人一罪の包括評価を可能ならしめるものといえる。

したがって、これに反する弁護人らの主張は採用できない。

2  行使の目的について

甲野が一万円札の偽造に至った経緯は、前記のとおりであるが、右によれば、甲野は、かつてカラー複写機を利用して一万円札のコピーを相当量作成したが、いずれも外形上真券と異なっていたため、これを利用するに至らなかったが、経営状態が本格的に悪化し始めた昭和六一年一一月ころから、高額の報酬を支払うなどして、特に写真及び印刷関係の事情に精通していると思われる、親交の厚い者らを選んで、精巧さが期待できるオフセット印刷による一万円札の偽造を依頼し、その後も出来上がった試し刷りに対しては、自ら色、鮮明度について具体的な校正指示をしたり、その後の納得し難い出来の偽造券は、これを利用せずに廃棄し、何度か、試し刷り、本刷りをさせたというのであって、このように、専門の印刷業者に依頼し、一貫してあくまで真券に近い一万円札を作ることに執念を燃やしていることや、押収してある偽造日本銀行券一万円札(昭和六二年押第一四〇五号の1ないし6)によれば、本件によって偽造された一万円札は、一般人がこれを直ちに偽札と見破ることは困難であるほど精巧に作成されたものであったことや、前掲各証拠によれば、甲野は、偽造券が出来上がってくるや直ちに選別作業に移り、そのうち、出来のいい一部を持って関西方面に行き、買物などに使う計画にかかろうとしたことがあること、右選別作業中は、自他ともに、あらかじめ、手先に接着剤を塗り、また昭和六二年三月中旬ころ印刷を依頼した際には、Cを通じ、業者にも手袋をして作業するよう指示するなど、偽札からの指紋の露見を防ぐための対策をとっていること、その実現可能性は別として、偽造券の利用につき、見せ金以外の方法について、しばしば丙川、丁谷らに話していることが認められるのであって、これらによれば、昭和六一年一一月ころCに偽札作りを依頼した当初は、出来上がった偽造券は宝石類の取引の際に見せ金として用いる程度で、殊更真券として流通に置こうという意思まではなかったとしても、その後、次第に資金繰りが苦しくなり、これを単に見せ金としてだけではなく、真券として取引に利用する、つまり流通に置こうとする意思が生じ、本件犯行時には行使の目的をもって偽造券の作成に至ったものであることは、明らかである。

ところで、甲野は、Cらに対しては、専ら選挙の際の見せ金として使用する旨を述べて一万円札の印刷を依頼しているのではあるが、その事柄の性質上、依頼の際に右のようなことを告げたからといって、これのみが甲野の真意であると即断することはできない。また、本件偽造券はもとより、一連の偽造の過程で作成された偽造券は甲野らによって流通に置かれることなく、いずれも廃棄処分されているが、前掲各証拠によれば、甲野はCらに対し報酬として、前後数回に亘り、一〇〇万円単位の現金等を手渡すなどしているのであり、また、甲野が本件の偽造券を廃棄した経緯については、関西で偽造券の一部を使う計画を立てた後、金の無心にある知人宅を訪れたところ、財布の中の偽造券を見咎められ、その使用の翻意を促されたため、かねてから深く尊敬していた右知人の忠告を聞き入れ、結局、その日から翌朝にかけて都内数箇所において、偽造券を投棄処分したというのであって、当初から投棄処分を予定していたものではなく、したがって、結果として使用されずに終ったことは、判示偽造段階において行使の目的があったことと、何ら矛盾しないというべきである。

3  甲野の本件各犯行時における責任能力

前掲各証拠のほか、証人加藤伸勝及び同中谷陽二に対する当裁判所の各尋問調書並びに鑑定人加藤伸勝及び同中谷陽二共同作成の鑑定書によれば、以下の各事実が認められる。

(一) 甲野は、かなり年少のころから気分ないし精神の変調を覚えるようになり、そのため高校生のころから市販の精神安定剤の服用を始め、昭和四六年ころからは、ベンザリン(ニトラゼバム)を常用するようになり、その後同五一年一月に前記ベルギー人宝石商事件を犯し、詐欺事件(執行猶予取消し)と合わせて、翌年三月から同五九年二月まで前橋刑務所に服役し、仮出所後もベンザリンを常用していたが、同六一年暮ころからその服薬量が増え、本件各犯行時も一日に数十錠前後を常用していた。

(二) ところで、甲野には狭義の精神病は認められずレントゲン及び脳波検査によっても重大な器質障害等の異常を窺わせるような所見は見受けられないし、知能的には平均値より上位の能力を有し、特筆すべきものとして、言語性IQ(最優レベル)と動作性IQ(普通レベル)のアンバランス及びその性格の偏倚があり、気分変易的で、爆発的な特徴を有するほか、とくに、虚談及び自己愛的傾向と人格の二面性が人格障害の著しい特徴とされている。

(三) 本件強盗殺人に至る経緯及び犯行状況は、前記のとおりであり、その動機形成過程や犯行態様は、後に指摘するような点を除けば概ね了解可能であって、いずれも犯罪遂行のため合目的な行動をとったり、被害者の行動に臨機に対応しており、しかも右犯行時に、甲野に幻覚・妄想等の異常体験があったことや、見当識の喪失ないし意識障害を窺わせるような兆候は存しないし、犯行前後の甲野の記憶には特段の欠落はなく、意識は清明であり、また本件強盗殺人の実行直後には、自ら車を運転して死体遺棄現場に向かうなど、運動障害は全くなく、また共犯者らを集め、アリバイ工作をしたり、潔白を装い自ら警察署に赴いているほか、終始、右の強盗殺人に対する罪責感に苛まれていた。

(四) また、本件通貨偽造に至る経緯及び犯行状況は、前記のとおりであって、その過程には特に不自然なところはなく、犯罪遂行のための合目的な行動をとっており、しかも右犯行時には、幻覚・妄想等の異常体験があったことや、見当識の喪失ないし意識障害を窺わせるような兆候はなく、犯行前後の記憶に特段の欠落はないし、意識も清明である。

(五) ところで、前記の鑑定書等によれば、緩和精神安定剤であるベンザリンには強い催眠作用があって、甲野のように、一日に数十錠もの量を常用していたという症例は、右薬剤の乱用例が少ないわが国では見当たらず、むしろその薬理作用に照らせば、右のような量を使用すると、普通は、薬物の直接的な効果として深い睡眠に陥ると考えられているところ、甲野には、そのような兆候もあまりなく、各犯行時にはいずれも覚せいしており、鑑定留置中のベンザリンの服薬テストでも、同人には右緩和精神安定剤に対してかなり強い薬物耐性が形成されていることが認められている。また、甲野の前記性格障害は、生来性のもので、薬物の常用により、これが増幅・先鋭化された面はあるけれども、その状態も、日頃の人格特徴の延長上の中程度以下の量的変化にとどまるとされている。

そして、分裂病型の人格障害の存在は否定されており、犯行時に、思考の転導性及び空想虚談という精神特徴が犯行に影響を及ぼしていることは肯定できるけれども、本件各犯行時には、甲野が常用していた薬物の直接ないし間接の影響により、本来の精神状態と質的に全く異なる状況が出現していたとは考えられないと結論づけている。

(六) 前記のような、ベンザリンの薬効及びその服薬状況、甲野の強い薬物耐性などのほか、前掲各証拠によれば、△△総合企画の経営状態や実母との関係などから、甲野が、当然欲求不満や心的葛藤を持っていたことが認められるけれども、甲野の犯行動機の形成過程は、事態の推移に従ってこれを後追いできる反面、取引相手から多額の宝石類の強奪を図り、またその返還を免れようとした割には、その内容が杜撰であり、たとえば、甲野は、取引の交渉過程において、被害者が持ってきた宝石類は、第三者からの預託品などであることには感づきながら、犯行後の状況に即応できる入念な対策を事前に考えたことがなく、わずかにLをアリバイ工作のため利用しようとした意図が窺えるだけで、犯行の露見を妨げるための方策については、その重大性に比しお粗末なものであるし、また、京セラ・十仁プラザの両事件における指示の内容はいずれも大胆・むこうみずなものであり、殊に京セラ事件は、夜間とはいえ、路上ないし駅での、社員らへの襲撃を命じるという、それ自体実現可能性に疑問を持たせる内容のものであり、両事件とも、社員らが△△総合企画へ商取引に出かけたことが各会社にわかっていたことから、容易に甲野らによる犯行が露見すると考えられるのに、その点の配慮を全くしていないことや、本件通貨偽造の犯行も、それまでは、電気洗濯機等で偽造券を粘土状にしたうえで投棄していたのに、より真券に近い本件の偽造券については、ビニール袋に入れただけで街路上の塵芥置場に捨てたり、川に投棄するなどしたというのであり、あまりにも無警戒すぎる処理をしていることが、注目される。

もっとも、これらの多くは、甲野の、生来の気分変易的な性格に依るところが大きく、これにより説明できる部分も多いと考えられるが、これらの点に前記鑑定などで指摘されている問題点を併せ考えれば、甲野は、かなり以前から常用していた薬物の影響により、生来有していた性格の偏りが増幅されて、現在のような性格特徴を顕著に示すようになり、これに本件犯行当時の薬物の服用が重畳的に影響して、本件各犯行に至ったものとみられ、その意味で、本件各犯行は、薬物の影響も受けて、事態に対する展望や見通しを欠くがまま、自己の内なる欲望を自制することにかなり困難を覚える状態において敢行されたことが認められる。

しかし、先にも認定したように、甲野は、気分変易的で、爆発的な性格特徴を有するほか、虚談及び自己愛的傾向と人格の二面性などといった著しい人格障害を有するが、それ以上に、社会的適応性を欠如するような精神病者またはこれに近い高度な精神病質者であったわけではなく、また、生物学的な病因がないのみならず、本件各犯行時には、いずれも犯罪遂行のため、それなりの合目的な行動をとっていることや、記憶に特段の欠落はなく、意識も清明で、事後における罪責感もあるなど、正常な自我機能を保持していることが認められるうえ、本件各犯行が、気分変易的な不機嫌状態を背景とした、原始反応、短絡反応であったともいえないのであるから、前記性格の偏倚や薬物の影響も、一定の限界内にあったとみるべきで、結局、本件各犯行当時における甲野の事理弁識の能力及びこれに従って行動する能力に、著しい障害はなかったものと認められる。

よって、弁護人の主張は採用できない。

三  被告人乙山二夫及び同丙川三夫について

1  被告人乙山二夫の強盗殺人幇助の成否について

前掲各証拠によれば、以下の各事実が認められる。

(一) 乙山は、昭和六二年一月一四日ころ、甲野から△×ビルの社長室で被害者の紹介を受け、その際机上に置かれた相当量の宝石を見て、同人が宝石業者であり、甲野とその取引を進めていることを知った。

(二) 同月一六日の犯行当日には、甲野から被害者を地下室でけん銃により殺害する旨伝えられたほか、職域外の、内装もできていない地下室にテーブルや椅子を用意するように言われて、その準備をし、また、甲野からの指示どおり、丙川を伴って地下室に赴き、同人に甲野の意図を伝え、同所で丙川と、けん銃の銃声がどの程度外に漏れるかの実験をしたり、換気口を毛布で塞ぐ作業の手伝いをするなど、甲野が地下室において被害者をけん銃で射殺することを前提とする行為をした。

(三) その後、甲野からの指示を受け、被害者が来社したころ社長室に電話して、虚偽の不動産取引を装い、甲野が取引で多額の現金を動かす人物と被害者に思わせようとしているのを知りながら、被害者のいる社長室に出向いてアンコの札束が入っているジュラルミンケースを運び出し、これに協力した。

右によれば、乙山としては、甲野が宝石類等を強取するため被害者を取引にかこつけて殺害するのではないかと気付いたことは明らかであり、その後、甲野からの指示でけん銃が入っているショルダーバッグを地下室に置いて来たり、甲野から、関越自動車道を走行中の車内において被害者を射殺するので、自動車の運転をするようにとの指示まで受け、自ら革の手袋をして被害者所有の右自動車を運転したというのであるから、その運転行為が甲野の右犯行を助けることになるかもしれないことを認識していたことは明らかである。

乙山は、公判廷では、甲野が普段から皆の根性を試すと言っていたので、同人が本当に強盗殺人をするとまでは知らなかったと弁解するが、右弁解でも、甲野から車中での殺害計画を聞き、自動車を運転した際には、同人のその後の行動にかなり強い不安感を覚え、現にハンドル等に指紋が付かないように革の手袋をしており、甲野がけん銃を連射した際も、何らハンドル操作等に支障は来さなかったことは認めている。

確かに、当時の甲野の行動は、京セラ・十仁プラザの両事件にも見られるように、大胆・むこうみずなもので、一方的に指示・命令を受ける乙山らとしては、甲野の真意を測りかねる場面があったことは、否定できないけれども、右に述べたように、乙山が一連の事態の推移から、甲野の意図を未必的に認識するに至ったこととは、何ら矛盾するものではない。

そして、乙山が、高速道路において、犯行時及びその前後に、甲野と被害者を車に乗せて運転するということは、甲野の車中で被害者を殺害するという強盗殺人の計画にとって重要にして不可欠な行為といいうるものであって、右幇助行為と甲野の強盗殺人の実行行為との間に、幇助犯の成立に必要な因果関係があることは明らかであり、乙山についての強盗殺人幇助の成立に欠けるところはないというべきである。

2  被害者丙川三夫の強盗殺人幇助の成否について

前掲各証拠によれば、以下のような事実が認められる。

(一) 丙川は、前記のような経緯で、昭和六一年一二月中旬ころ△△総合企画に入社したが、甲野が正社員として雇ってくれたことなどから、同人に強く恩義を感じていたところ、同人からは、早速けん銃の入手を頼まれたり、猟銃等をあいついで見せられ、けん銃の試射に立会わされたほか、連日○○ハイツに呼び出されて種々の話を聞かされたり、突然、車で都心の駐車場に行き、車両を奪取するように命じられたり、アンコの札束の作成を指示されるなど、異常な体験を重ねた。

(二) そして、同月二四日及び同月二七日には、前記のように、京セラ・十仁プラザの両事件に関与した後、翌年一月六日ころ、再び△△総合企画で働くようになったが、その二~三日後には、甲野から再度けん銃の入手を頼まれ、知り合いのある暴力団組員に連絡をとり、同人からけん銃二丁と実弾四〇発を買って、これを甲野に渡し、同月一五日には、甲野から○×ビルにおいて一万円券の左半分が上下逆に印刷された偽造券を一〇〇〇万円相当の札束にまとめ、その上下に真券を置いたうえ十文字に帯封し、これを外で購入してきたジュラルミンケース四個に一億円ずつ詰める作業などを命ぜられ、翌一六日の午前三時ころまで丁谷らとともに右作業に従事した。

(三) 同月一六日の犯行当日は、午前一〇時に△×ビルに出社し、午前中は押花カードの作業をしていたが、午後二時ころ出社した甲野から同ビルの地下室に連れて行かれ、ここでけん銃により人を殺す旨の意向を打ち明けられたうえ、その場合音が外に漏れるかもしれないのでガムテープなどで目張りをしたらどうかなどとの示唆を受け、更に午後三時ころ乙山に誘われて地下室に行き、同人からも甲野が同所でけん銃により人を殺害するつもりでいることを聞き、自らも、けん銃の発射音はすごいなどと説明して、乙山ともども、持って来た毛布を二箇所の換気口にガムテープで貼りつけ、ガラス戸と桟の間をガムテープで目張りしたうえ、同所にあった鉄パイプで室内の壁を叩き、外に出た乙山にその効果を確かめさせたりした。

(四) 丙川は、同ビル三階の事務所に戻り、午後四時ころ、前記鉄パイプを片付けていないことに気付いて地下室に降り、その後事務所に戻って、通常の執務時間を過ぎ社員もほとんど帰ってしまった午後六時ころまで特別やる仕事もないのに残っていたところ、甲野の指示を受けた丁谷から○×ビルで待つよう伝えられ、職域外の○×ビルに行き、同所にいたLと一緒に夕食をとるなどして、甲野からの指示を待っていた。

(五) 午後七時ころ、丁谷が迎えに来たので、Lともども、同女の運転するBMWで△×ビル前まで行き、同所で全員車外に降りて待っていたところ、甲野から「○坂インターへ行く。これから取引に行く。」などと告げられたので、自らはBMWの後部座席に乗り、助手席にはLが乗り、丁谷の運転で出発した。

これらの事実によれば、丙川は、本件犯行当日、甲野らが宝石商の被害者と宝石等の取引をしているということは、全くあずかり知らなかったけれども、まず、同日午後の、甲野及び乙山からの、前記のような地下室でのけん銃による殺人計画を聞いていたのみならず、乙山らによって地下室には床に血が飛び散るのを防ぐためのものと思われるビニールシートが敷かれているのを見たのであるから、甲野が先の計画に従って地下室の準備を着々と進めていること、しかも、同所にはにわかにテーブルや椅子がセットされ、取引の場所のように設営されていることを、知ったのであるから、以前、京セラ・十仁プラザの両事件における宝石の取引を装った強盗計画に巻き込まれたこと、及び、その後にけん銃の入手方の依頼を受けたこと、また、取引の際に見せ金として用いられるであろうアンコの札束作りを手伝わされたことと併せて、丙川としては、甲野が乙山や自分を巻き込んで利用し、地下室に宝石等の取引にかこつけて誰かを連れ込み、けん銃でその者を射殺し、宝石類等を奪い取ろうとしているのではないかということを、感づいていたものと推認できる。

そして、丙川は、右のような甲野の意図を認識しつつ、同日、甲野が地下室で犯行に及ぶ際、外にけん銃の発射音が漏れるのを防ぐため、乙山とともに、地下室の換気口などを毛布やガムテープで手当てしたことが認められる。

ところで、この点に関する丙川の当公判廷における弁解は、要するに、本件当日、甲野と地下室に行った際は、同所の内装に関する話をしただけで、甲野から殺人の話は一切聞いておらず、その後、乙山から地下室で、甲野が同所でけん銃を射つつもりでいることは聞かされたが、それまでの甲野の言動からして、真にこれを実行するつもりはないものと考えたものの、いたずら心が高じて、地下室の目張り行為等をしたにすぎないとするものである。

なるほど、丙川としては、入社早々に、けん銃の入手方の依頼を受けたのをはじめ、甲野から様々のことを命令され、仮出所後目まぐるしい日々を送り、そのため甲野の真意を測りかねていたのだから、京セラ事件では、甲野が、皆の根性を試すために種々の命令を発したと思ったという弁解も、あながち排斥できないが、少なくとも、十仁プラザ事件は、京セラ事件に引き続き、各自の役割分担をあらかじめ決めるという具体的なもので、現に甲野は、Dにナイフを渡し、丙川にけん銃の準備を命じたうえで、当初の計画通り○×ビル内に取引相手を連れ込んでおり、丙川らが高崎まで逃げ帰ったことから端的に窺えるように、甲野が計画を実行に移そうとする直前の状態にまで至っていたこと、したがって、甲野が丙川らの根性を試すという目的でこれらを企画したものでないことは、その場に立会い、一連の事態の推移を見知っていた丙川としては、これを十分に理解していたというべきであって、この点に関する丙川の弁解は措信できない。

さらに、本件当日、丙川が地下室で甲野からけん銃による殺害の意図を聞かされたか否かについては、これを肯定する甲野の捜査段階における供述があるところ、右供述部分は、甲野と丙川の各発言内容とが対応する形で具体的に供述されており、その信用性は、他の供述部分の信用性ともあいまって高いものということができ、これに対し、丙川の弁解は、ただ内装の話をしたにすぎないとするものであるが、先に指摘したように、甲野は、既にこの段階では被害者を殺害する意図を固めており、現にその前後には乙山にその意図を告げて、テーブル等の準備を指示しているのであるから、内装の話をするため地下室まで丙川を連れて行ったというのは不自然であり、逆に、丙川の弁解通りだとすると、甲野からその意図を直接聞いてもいないのに、自らの才覚で積極的に手の込んだ目張り行為等をしたことにより、単にいたずら心が高じてなした旨の弁解は、説得力を欠くものである。

ところで、丙川は、その後も、丁谷を介した甲野の指示どおり○×ビルで待機し、更に丁谷の運転するBMWに乗り△×ビル前に行き、同所にクラウンが停車していることは認識しており、しかも甲野から、同日午後に人をけん銃で殺害するという意図を明かされた以後、これを断念したとは一切聞かされていなかったのであるから、丙川としては、自分が甲野の意図に沿った計画に巻き込まれ、あるいは甲野の計画を手助けするはめに陥ることになるかもしれないことを認識し、その後、△×ビル前で甲野から「○坂インターへ取引に行く」旨伝えられて暗に同行を求められ、自らはBMWに乗り丁谷の運転で出発し、他方、甲野は右BMWには乗車して来なかったというのであるから、甲野らが別の車で○坂方面に向かい、自分達の乗ったBMWはその車に連なって行くことを察知し、同時に、これまで甲野から夜分の商取引に同行を求められるということはなかったのであるから、甲野が、先の計画、すなわち宝石等の取引にかこつけて誰かを殺害し、その宝石等を奪おうとする計画を実行に移すのではないかと考えるに至り、丙川において、甲野と行動を共にすることにより、右計画を何らかのかたちで手助けすることになるのではないかということは理解していたものと推認できる。

この点に関する丙川の弁解は、○×ビルで待つ間、Lとたわいない話をしていたもので、丁谷らが運転するBMWに乗っていた際も、どこに何のために行くのか分からず、現に車の中では前日の疲れもありぐっすり寝ていたので、甲野が車で被害者を連れ出し、それに自分らが追従しているという意識はなかったとする。

しかし、前掲各証拠によれば、△×ビル前にBMWが到着した時には、既に約車一台分の間隔を置いた前方に甲野、被害者が乗ったクラウンが停車していたこと、甲野から地下室の内装工事の依頼を受け、丙川とともに○×ビルで待機し、更に甲野から榛名山の別荘の改装の名目で同行を要請され、やはり丙川とともに右BMWで△×ビル前に来たLは、同所に停車中のクラウンに乗っていた甲野と丁谷との会話場面及び同車の後部座席の男の人影を見たほか、乙山に出発合図を聞いたこと、がそれぞれ認められるのであって、このような、同じ位置関係にある人物の認識状況や、丙川自身も、車外の△×ビル前で、直接、甲野から取引に行く旨言われたというのであって、これらによれば、少なくとも甲野が停車中の前車にいたことは知っていたとみることができ、したがって、丙川の乗車したBMWが甲野の乗るクラウンに追従していることの認識もあったというべきであって、これに反する丙川の前記弁解は措信し難い。

ところで、丙川の弁護人は、丙川の幇助行為の因果関係を争うので、検討するに、まず地下室における目張り行為等は、甲野が現実には地下室で犯行に及ばず、車中でこれを実行したのであるから、現実の甲野の強盗殺人の実行行為との関係では、役に立たなかったものであるが、前記のように、甲野としては、乙山ばかりでなく、丙川にも地下室における準備を期待し、丙川も、右地下室での甲野との会話などを踏まえ、その意図を理解し、目張り行為等をしたものと推認できるのであって、甲野がその後たまたま地下室においての実行計画を発展的に変更し、車中でこれを実行したものではあるが、結局は、当初の意図どおり、甲野が強盗目的によりけん銃で被害者を射殺するという、被侵害利益や侵害態様など、構成要件上重要な点を共通にする行為が、前の計画と同一性を保って、時間的にも連続する過程において遂行されたものであるから、丙川の右目張り行為等は、甲野の同日の一連の計画に基づく被害者の生命等の侵害を現実化する危険性を高めたものと評価できるのであって、幇助犯の成立に必要な因果関係において欠けるところはないというべきである。

さらに、丙川らの追従行為についても、本件各証拠によれば、甲野は△×ビル前を出発した後に、一度、後続するはずのBMWと離れてしまったため、わざわざ速度を緩めてこれを待ち、同車を発見して合流した後に、本件強盗殺人の実行行為に移ったというのであるから、丙川らの乗った車が追従していること、すなわち、丙川らが甲野の思惑どおり甲野と行動を共にしたということは、甲野の抱いていた強盗殺人の意図を強化したと評価できるのであって、その間に、幇助犯の成立に必要な因果関係を認めることができる。

よって、弁護人の右主張も理由がない。

3  被告人乙山二夫及び同丙川三夫の死体遺棄罪の成否について

前掲各証拠によれば、前記のような経緯で、甲野が被害者を殺害した後、乙山は引き続き死体を乗せたままクラウンを運転し、丙川は甲野の運転するBMWで、群馬県群馬郡榛名町の山林に至り、同所において甲野から被害者の死体を埋める穴を掘る作業を命ぜられ、乙山、丙川及びLが、BMWの荷台から甲野が出して来たスコップで、かわるがわる穴を掘り、更に乙山において、甲野に命じられるまま、被害者をクラウンから引きおろし、ナイフで衣類を剥ぐなどしたことが認められるのであって、以上によれば、被告人乙山及び同丙川は、現場において、甲野及びLらと意思を相通じ、死体遺棄をしたと認めるのに十分である。

被告人乙山及び同丙川の弁護人は、両被告人には、その際、期待可能性がなかったと主張する。

たしかに、両被告人は望むべくもなく現場に至り、夜間で、人里離れた山林にあって、犯行直後の甲野の勢いに抗いきれないという雰囲気の許で、現場から逃げ出すことはかなり困難な状態にあったことは否定できないけれども、甲野が現場でけん銃を取り出して穴を掘ることを強制したわけではなく、現に穴を掘った後、丙川は死体を見るのはいやだと言って車中に逃げ込み、死体を車内から搬出するのを手伝っておらず、両名につき、多少なりとも行動の自由は残されていたのであるから、期待可能性がなかったとはいえない。

この点に関する弁護人の主張も採用できない。

四  被告人丁谷花子について

1  強盗殺人幇助の成否について

前掲各証拠によれば、以下の各事実が認められる。

(一) 丁谷は、前記のような経緯で、昭和六〇年二月末ころ△△総合企画に入社したが、かねてから文学に親しみ、甲野が童話作家として多数の出版をしていたことから、同人に当初から好意と尊敬の念を抱き、入社早々同人から結婚をほのめかされ、秘書として行動を共にするうち、同人に対し強い愛情を抱くようになり、同年三月上旬ころには、○○ハイツで同棲するようになったが、同月下旬には同人の知り合いの会社に出向を命じられ、同人が他の女子社員と懇意な関係になって、同六一年二月には同女と結婚したため、暗然とした気分に陥ったが、甲野に対する恋慕の情を捨て切れず、これからは仕事の面で甲野の良きパートナーとして役に立つことで満足しようと思い込むことにより自らを納得させ、甲野からの指示・命令は、他の社員にできないことであればあるほど、これに応じたいという気持になり、再び甲野の秘書として同六一年一〇月ころには○○ハイツで同棲するようになり、社内では甲野の腹心のひとりとして働いていた。

(二) ところで、丁谷は、前記のように、甲野からカラー複写機による相当量の一万円札コピー作りを手伝わされたり、アンコの札束を作って、帯封する作業をしたほか、昭和六二年一月一五日から一六日にかけては、あらかじめ甲野がCに偽造させた一万円札を用いてのアンコの札束作りの作業をした。

(三) さらに、京セラ事件では、取引相手の来社時には、アタラックスをお茶に入れて出すように命ぜられ、これを実行し、十仁プラザ事件でも、京セラ事件同様、その準備までしたが、甲野との意思疎通が十分でなかったため、アタラックス入りのお茶を出すまでには至らなかった。

(四) ところで、丁谷は、同六二年一月一〇日前後ころ、宝石商のIを社内で接待する機会があり、甲野がIとの間で宝石類の取引を進めているのを知ったが、同月一六日午前九時ころ、○○ハイツに赴いたところ、甲野から、「午後四時ころIが会社に来るので、その際に朝鮮人参茶にアタラックスを入れて出せ。」と指示され、同所にあったアタラックスのカプセルの薬剤を取り出し、これを持って出社した。

(五) その後、二日前に採用した新入女子社員の世話をしたり、押花カード作りの指示などをしていたが、出社した甲野から、前記の、アンコの札束を入れたジュラルミンケース内にビニールシートを詰めて右札束を固定しておくよう命ぜられ、○×ビルに行って、その作業をした。

(六) そして、午後四時ころ来社したIに対して、前記アタラックスを溶かした朝鮮人参茶を茶碗に入れて出し、同人はこれの三分の二ほどを飲んだ。

右によれば、丁谷は、本件犯行当日、甲野が、宝石商の被害者を、宝石の取引にかこつけて△×ビルに呼び寄せ、ジュラルミンケースのアンコの札束を示して資力があるかのように信じさせ、アタラックスによる睡眠効果の出た被害者を何らかの方法で殺害して、宝石等を奪い取ろうとしていることを認識するに至り、甲野の意図を手助けすることを理解しながら、アタラックスを溶かした人参茶を被害者に出したものというべきである。

さらに、前掲各証拠によれば、

(七) 丁谷は、同日午後五時ころ、甲野から地下室にけん銃が置いてあるかの確認方を指示され、これを確認して甲野に伝えたが、その際、地下室にはテーブルや椅子が運び込まれ、ファンヒーターがつけられていることに気付いた。

(八) 同日午後六時には、甲野の指示により、丙川とLに○×ビルで待つよう伝え、同六時三〇分ころ、社長室において被害者が持ってきたミンクの毛皮コートを試着した後、甲野が被害者を、取引にかこつけ車で連れ出そうとしているのを知り、○×ビルで待っていた丙川とLをBMWに乗せ、△×ビル前で降りたところ、前方に停車していたクラウンの後部座席にいた甲野から、「丙川とLを乗せて、クラウンに付いて来い。」と指示されたので、△×ビル三階の事務所と地下室の戸締りをしたうえ、丙川とLを乗せ、BMWを運転して練馬インターチェンジに至り、同所でLと運転を替わり、自らは助手席に乗り、クラウンに追従したことが認められ、右によれば、丁谷としては、あるいは十仁プラザ事件の時のように、甲野が、宝石商の被害者を取引にかこつけて地下室に連れ込み、けん銃で同人を射殺して宝石類を奪い取ることを計画しているのかもしれないと考えるに至り、さらに、甲野とIが高級なミンクの毛皮コートに関する取引も進めていることや、車で被害者を外に連れ出そうとしていることを知っており、また、丁谷は、甲野が犯行直後に、ただ「終った。」とだけしか告げなかったのに、その後、自動販売機から缶入り飲料を購入する際には、被害者の頭数を差し引いていたことも認められるのであって、以上の各事実を総合すれば、丁谷としては、甲野が地下室で被害者を殺害する計画を変更し、同人を車で外に連れ出して殺害しようとしているのではないかと認識するに至り、同時に、丁谷らが甲野と行動を共にすることにより、甲野の右計画に巻き込まれ、これを何らかのかたちで手助けすることになるのではないかということを理解していたものと推認できる。

丁谷は、当公判廷では、甲野は薬物を常用していたため、その行動は支離滅裂で、京セラ・十仁プラザの両事件及び本件当日の、いずれにおいても、アタラックスの薬効からいって、さして睡眠作用はないと考えていたうえ、丁谷が真に被害者らを殺害して宝石等を奪おうとしていたとは思わなかったし、甲野から地下室にけん銃を確認に行かされた趣旨も理解できず、同所にあったテーブルなどが何を意味するのかは分からなかったし、丙川及びLを連れてクラウンに追従した際も、甲野が被害者を殺害するために連れ出したものとは考えていなかった旨、各弁解する。

たしかに、丁谷が甲野から強盗殺人の意図を具体的に伝えられる場面はなかったけれども、まず十仁プラザ事件においては、先に乙山及び丙川の強盗殺人幇助の成否の際に判断したように、甲野が皆の根性を試す目的、あるいは丁谷にスリルを味わせるために、右事件を企てたものではなく、甲野の決意が強固であったことは明らかで、丁谷にスリリングな気持を味わわせるため、アタラックスを入れた人参茶を出すように指示したにすぎないとの甲野の公判廷での供述は措信できないし、甲野のそばにいて一連の事態の推移やその顛末を見知っていた丁谷は、甲野の意図を察知していたとみるべきであり、また催眠作用の強弱は別として、一応右薬効のあるアタラックスを混入させた人参茶を出しているのであるから、甲野の意図を認識しながら、甲野の一連の計画を助ける意図で、これに応じたというべきで、その後甲野が凶器を準備し、地下室の設営等を着々と進める一方で、被害者と交渉を継続していたのであるから、甲野が前記意図を実行に移そうとしていたことを理解したものであって、これらに反する丁谷の前記弁解は、いずれも措信できない。

丁谷は、捜査段階において、全面的に幇助の意思を認める供述をしているが、その供述内容は、具体的であり、その他に証拠とも齟齬はなく、その信用性は高いというべきである。

なお、丁谷の弁護人は、幇助の因果関係を争うが、丁谷がアタラックスを混入した人参茶をIが飲んでおり、これによる薬効の同人への具体的な影響の程度は明らかではないが、他方、遅効性ではあるが、催眠作用の薬効を持つことも明らかであり、また、前掲各証拠によれば、甲野は被害者を連れて△×ビルを出発するにあたり、丁谷に対し、アタラックスを入れたものを被害者に出したことを確認して、前記殺人行為に至ったという経緯が認められ、丁谷がアタラックス入りの人参茶を出したということは、甲野が既に抱いていた強盗殺人の意図を強化したものとも評価できるのであって、いずれにしろ甲野の本件強盗殺人の犯行を全体として容易ならしめたといえるから、幇助犯の成立に必要な因果関係はあるというべきである。

さらに、地下室にあるけん銃を確認し、これを甲野に報告した行為は、その後の甲野の一連の行為の意図を強固ならしめ、現に甲野は被害者を外に連れ出して殺害することに決めた後、地下室にあったけん銃を持ち出して犯行に至っているし、また、丁谷らの追従行為は、甲野の高速道路における犯行時に、いかなる事態が発生するかも知れず、これに応ずる臨機応変の対処を可能にするものであり、現に甲野は、途中後続車がはぐれたため、これを待ってその後に犯行に至っているという経緯に照らせば、甲野は丁谷らの追従行為により意を強くしたといえるのであって、いずれも、幇助犯の成立に必要な因果関係はあるというべきである。

よって、弁護人の前記主張は採用できない。

2  死体遺棄幇助の成否について

前掲各証拠によれば、前記のような経緯で、甲野が被害者を殺害した後、丁谷は、BMWに乗り移って来た甲野の運転で、同一六日午後一〇時ころ群馬県群馬郡榛名町の山林に至り、BMWに付いて来た乙山運転のクラウンとも、全て消灯して停車したこと、同所は人里離れた山林で、付近に民家や明りはなく、目をこらして見ないと近くの識別も困難であったこと、そして、丁谷は、乙山らが被害者をр゚る穴を掘るにあたり、その方向に向けて懐中電灯を照らしたことが認められ、これらによれば、丁谷の右行為は、甲野らの死体遺棄行為を容易にしたものであって、右幇助行為には可罰性を基礎づける実質的な違法性もあるというべきである。

よって、弁護人の前記主張も採用できない。

(累犯前科)

一  被告人甲野は、(1) 昭和四九年一二月二三日東京地方裁判所で詐欺罪により懲役一年六月(五年間保護観察付執行猶予、同五二年四月一四日右猶予取消し)に処せられ、(2) 同五一年九月九日同裁判所で暴力行為等処罰に関する法律違反、強盗致傷、詐欺未遂の各罪により懲役七年に処せられ、同五八年七月二一日右(2)の刑の執行を受け終わり、引き続き同六〇年一月二一日右(1)の刑を受け終わり、

二  被告人丙川は、昭和五六年九月二二日東京地方裁判所で覚せい剤取締法違反の罪により一年一〇月に処せられ、同五八年六月二日右刑の執行を受け終わったものであって、右各事実は、被告人甲野については各前科に係る判決書謄本及び検察事務官作成の昭和六二年四月一五日付前科調書、被告人丙川については検察事務官作成の同六三年一二月六日付前科調書によってこれらを認める。

(法令の適用)

被告人甲野の判示第一の一の所為は包括して刑法二四〇条後段に、被告人乙山、同丙川及び同丁谷の判示第一の二の各所為はいずれも同法六二条一項、二四〇条後段に、被告人甲野、同乙山及び同丙川の判示第二の一の各所為はいずれも同法六〇条、一九〇条に、被告人丁谷の判示第二の二の所為は同法六二条一項、一九〇条に、被告人甲野の判示第三の所為は同法六〇条、一四八条一項に、同被告人の判示第四及び被告人丙川の同第五の各所為中、各けん銃所持の点は銃砲刀剣類所持等取締法三一条の二第一号、三条一項(被告人甲野については更に刑法六〇条)、各実包所持の点は火薬類取締法五九条二号、二一条(被告人甲野については更に刑法六〇条)、にそれぞれ該当するところ、被告人甲野及び同丙川の各けん銃所持と各実包所持はいずれも一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条によりいずれも一罪として重い銃砲刀剣類所持等取締法違反の罪の刑で処断することとし、被告人甲野の判示第一の一の罪につき後記量刑の理由を考慮したうえ所定刑中無期懲役刑を選択し、被告人乙山、同丙川及び同丁谷の判示第一の二の各罪につき所定刑中無期懲役刑を選択し、被告人甲野の判示第三の罪については所定刑中有期懲役刑を選択し、同被告人の判示第四及び被告人丙川の同第五の各罪につきいずれも所定刑中懲役刑を選択し、被告人甲野には前記一の各前科が、被告人丙川には前記二の前科があるので、判示第二の一、第三、第四及び第五の各罪の刑について、刑法五六条一項、五七条(判示第三については同法一四条の制限内で)によりそれぞれ再犯の加重をし、被告人乙山、同丙川及び丁谷の判示第一の二の各罪、並びに被告人丁谷の判示第二の二の罪は、いずれも従犯であるから、被告人乙山、同丙川及び同丁谷の判示第一の二の各罪については同法六三条、六八条二号により、被告人丁谷の判示第二の二の罪については、同法六三条、六八条三号により、それぞれ法律上の減軽をし、被告人甲野の判示第一の一、第二の一、第三及び第四の各罪、被告人乙山の判示第一の二及び第二の一の各罪、被告人丙川の判示第一の二、第二の一及び第五の各罪、被告人丁谷の判示第一の二及び第二の二の各罪は、いずれも同法四五条前段の併合罪であるが、被告人甲野については最も重い判示第一の一の罪につき無期懲役刑を選択したので、同法四六条二項により他の刑を科さないで、被告人甲野一夫を無期懲役に処し、被告人乙山については同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の二の罪の刑に同法四七条ただし書の制限内で法定の加重をし、なお犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で、被告人乙山二夫を懲役五年に処し、被告人丙川については同法四七条本文、一〇条により最も重い判示第五の刑(ただし、短期は判示第一の二の罪の刑のそれに従う。)に同法一四条の制限内で法定の加重をし、なお犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で、被告人丙川三夫を懲役四年に処し、被告人丁谷については同法四七条本文、一〇条により重い判示第一の二の罪の刑に同法四七条ただし書の制限内で法定の加重をし、なお犯情を考慮し、同法六六条、七一条、六八条三号を適用して酌量減軽をした刑期の範囲内で、被告人丁谷花子を懲役三年六月に処し、同法二一条を適用して、未決勾留日数中五〇〇日を、被告人乙山二夫、同丙川三夫及び同丁谷花子のそれぞれの刑に算入し、押収してある回転式けん銃一丁(タウルス、昭和六二年押第一四〇五号の7)は、判示第一の一の強盗殺人の用に供した物であり、押収してある回転式けん銃一丁(コルト・ローマン、同押号の8)、自動式けん銃一丁(タンホグリオ、同押号の9)及び箱型銃(同押号の10)は、判示第四の銃砲刀剣類所持等取締法違反の犯罪行為を組成した物、同実包七二発(同押号の11ないし15・ただし、試射済のもの一五発を含む。)は、判示第四の火薬類取締法違反の犯罪行為を組成した物で、いずれも被告人甲野以外の者に属しないから、刑法一九条一項二号、一号、二項本文を適用して被告人甲野一夫からこれらを没収し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項ただし書を適用して、被告人らに負担させないこととする。

(量刑の理由)

本件は、前刑の服役後事業に乗り出した被告人甲野一夫が、無責任な放漫経営を重ねた挙句、多額の金員の不正取得を企て、高価な宝石を取込む意図で被害者に接触し、取引名下に相当量の宝石類などを手に入れたが、これ以上の高級品の調達が無理だとみるや、同人を殺害してその返還を免れようと決意し、甘言を弄して被害者を外に連れ出し、車中で不意にけん銃で射殺して宝石類などの返還を免れ、その犯跡を隠蔽するために、同人の死体を人里離れた山中に穴を掘って埋め、その過程で所持金をも強取したという、陰惨な事件に併せ、これと前後して、一獲千金を夢み、オフセット印刷による一万円札の偽造を推し進め、専門業者に何度も試し刷りをさせて、結局約一〇億五〇〇〇万円分に相当する偽造券を作成したというもので、短期間に強盗殺人と通貨偽造という個人的ないし社会的法益を侵害することの最たる犯罪を重ねた極めて特殊な事件であり、このような行為に及んだ被告人甲野は、最大級の非難を免れない。

まず、強盗殺人についてみるに、被害者は個人宝石商として真面目に働き、内妻との平穏で幸福な生活を送っていたところ、何ら責められる点がなかったにもかかわらず、事態の推移を理解する暇もないまま命を奪われたというもので、その無念さは察するに余りあり、生じた結果が極めて重大であったことはいうまでもなく、これにより長年生活を共にした実母や、内妻らの悲しみ、憤りには計り知れないものがあり、内妻がいまなお甲野を許す気持にはなれないとして、甲野側からの償いの申し入れを固辞し続けるなど、その心情には痛ましいものがある。しかも、犯行は、甲野自身の無責任な放漫経営に端を発しており、全く落度のない被害者の人格・家庭を無視し、自己の利欲を満たすため、共犯者を巻き込み、安易に凶悪な犯行に及んだというもので、このような被告人の自己中心的でたやすく他人の生命を奪って顧みない非情、冷酷な反社会的性行には慄然とするものがある。犯行態様も、当日朝から用意していた真正けん銃を用い、被害者の枢要部に連続して発射するなど、甚だ残虐かつ徹底した攻撃を加えて即死させ、その後には闇夜の山林に至り、共犯者らに指示し、被害者の着衣を脱がせたうえ、土中に埋めており、いずれの犯行も人間性を疑わせるもので、犯行後は共犯者らと口裏を合わせアリバイ工作をしていることや、本事件とその手口において酷似する強盗致傷の前科があることなども併せ考えれば、右強盗殺人等の犯行だけでも、甲野の刑責は極めて重いといわざるをえない。

しかも、右に引き続いて犯した通貨偽造の犯行は、額面総額一〇億五〇〇〇万円に及ぶ大規模なものであり、これが一般社会に与えた衝撃は大きく、この種犯行が模倣性の高いことを考えれば、国家の経済秩序の根幹ともいえる通貨制度に対する公共の信用を危うくした点で強く咎められなければならず、その犯行態様は、まともな零細印刷業者らを巻き込み、多額の報酬などを渡し、その高度な印刷製版技術を悪用し、出来上がってきたものに自ら校正指示して刷り直しを命ずるなどして、通用の一万円札に酷似したものの偽造に執念を燃やし、企画段階から終始主導的に指示を与えていたもので、精巧に仕上げられた偽造券の一部を具体的に利用する計画を持っていたのであり、右に至った動機も、前記強盗殺人を敢行した後も放縦な生活を重ねて金銭に窮し、一獲千金を狙ったことによるもので、その点酌むべきものはなく、強盗殺人に引き続き、このような反社会性の高い犯行に及んだ甲野の犯罪性は根強く、右通貨偽造の犯行に関する刑責も、前記の強盗殺人同様、極めて重大である。

しかしながら、まず強盗殺人等についてみるに、これが計画性のない偶発的な犯行とまではいい難いものの、なお事前の綿密な計画に基づくものではなく、多分に場当り的であったこと、返還を免れた宝石類などの時価は多額に及んだが、その後現物が還付されるなどして、現在ではそのほとんどが被害者側などに返還されていること、自らが出捐したものではないが、甲野側から被害者の実母に五〇〇万円が交付され、同女は息子を失った母として複雑な心境であるにもかかわらず、「右金員は被害者の供養のために使わせてもらう。極刑を求める気持ちはない。」との意向を示すなど、徐々にではあるが、その被害感情は和らぎつつあること、通貨偽造についてみるに、作成された偽造券の相当部分は精巧に作成されたものではあったが、甲野らはこれを全く利用しておらず、偽造によって何ら利を得るところはなかったこと、また、幸い、そのほとんどが回収、流出、焼却処分され、その極く一部が拾得者によって知情行使されたほか、流通に供されなかったこと、さらに、甲野は、素質的負因を受けて出生した後、育てられた家庭環境には人格形成に悪影響を及ぼす問題点が多々あったため、温かい人間としての情操が生活体験として養われないがまま成長し、これらに長年常用して来た薬物の影響も加わり、生来有していた性格の偏りが増幅されて、現在は人格障害としては比較的重い自己愛的な傾向を示し、これに事件前後の多量の薬物の服用や心理的葛藤などの身体的、精神的な種々の条件の影響のもとに、事態に対する展望や見通しを欠くがままに、欲望を自制することにかなり困難を覚える状態において、本件各犯行が敢行されており、右の意味では、本件の道義的な責任をそのまま全部甲野に帰せしめることにはためらわれるものがあること、甲野は、通貨偽造の罪で逮捕された後、自ら進んで強盗殺人の事実も打ち明け、事実関係について一応素直に自白し、また公判を重ねるにつれ自己の犯した罪の大きさを悟り、命ある限り生涯かけて被害者側に償いをしたい旨述べるなど、反省の色を深めていることなどの事情があるので、これらの諸般の事情を彼此較量して考えると、被告人甲野を無期懲役刑に処し、その贖罪に当たらせることが相当であると判断した。

次に、被告人乙山二夫は、甲野の指示を受け、さしたる抵抗や逡巡を示すことなく、判示のような強盗殺人幇助及び死体遺棄の各行為に及んだものであって、右幇助行為は、甲野の実行行為にとって不可欠な意義をもつものであり、また、死体遺棄現場において果した役割も大きく、その刑責は重いが、片や、当時の甲野の言動には理解できない面があり、乙山としても疑心暗鬼を抱きながら付いて行ったところ、雇主である甲野の命令に抗い切れないまま、やむなく敢行したという面も窺われ、右のような重大行為に至った点につき、乙山が自己の才覚を用いて主体的に関与した形跡は全くないのであり、これらに併せて、乙山には古い罰金刑以外に前科がないこと、これまで職は変わっても一貫して真面目に働いてきたこと、さらに、その家庭の状況なども勘案して、酌量減軽をしたうえ、主文掲記の刑を相当と判断した。

被告人乙山三夫は、前刑の仮出所直後、二つ返事で雇ってくれた甲野に強い恩義を感じていたが、他方では、同人から種々の犯罪がらみの危険な行為を命ぜられ、甲野の言動に対して戸惑いを覚えていたところ、甲野に指示されるがまま軽率にも知合いの暴力団組員から真正けん銃等を入手したり、更には地下室の目張りをし殺人現場まで追従し、死体遺棄にも関与したのであって、その犯情は芳しくないけれども、いずれも、乙山同様従属的なもので、甲野が強盗殺人に及ぶことについては、未必的な認識に止まっていたこと、これらにより利益を得ていないのはもちろん、自らの利欲目的は全くなかったこと、これまで覚せい剤取締法違反等の罪により数回服役し、本件も仮出所中の犯行ではあったが、出所時には更生を期していたのに、運悪く甲野の計画に巻き込まれたものであったことなど、斟酌すべき事情もあるので、これらを勘案して、主文掲記の刑を相当と判断した。

最後に、被告人丁谷花子は、甲野から睡眠作用のある薬を被害者に出すように指示されるや、何の躊躇もなく、それに従い、また、けん銃の確認や、自動車による追従も、命ぜられる通り忠実に実行したもので、その刑責は軽視できないものがあるけれども、他方、規範意識を鈍らせたまま右のような行為に至った背景には、甲野との関係が根強く横たわっていたのであって、元来、丁谷はこの種犯罪行為には縁のない女性であって、たまたま甲野に見初められ、自ら選んだ途とはいえ、甲野との男女関係に縛られたまま本件に巻き込まれた面も強く、いわば、年配の甲野が年若い丁谷の心理につけ込んで手足として利用したことによるものであって、多分に斟酌すべき事情があり、もとより前科前歴がないこと、その家族の事情、年齢等を勘案して、主文掲記の刑を相当と判断した。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 松本光雄 裁判官 稻葉一人 裁判官 手塚 稔)

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